自然のなかに身を浸そう。こども達を真ん中に。
平成29年12月29日(金)
ノラソラ保育士 高橋
“まだほんの幼いころから、子どもを荒々しい自然のなかへ連れ出し、楽しませるということは、おそらく、ありきたりな遊ばせ方ではないでしょう。
――――わたしたちは嵐の日も、おだやかな日も、夜も昼も探検に出かけていきます。それはなにかを教えるためではなく、一緒に楽しむためなのです。“
レイチェル・カーソン『センス・オブ・-ワンダー』より。
私が“森のようちえん”という名前や存在を知る以前、大学生だったころに運命的に出逢った本での一節です。
その頃の私には、自分が保育士になることも、十日町に移住することも、まったく思い描いていませんでした。それでも、「ああ、私はこんな大人でありたい」と強く心に刻まれたことが、いま、私がノラソラに関わっている原点になっています。
小石を投げ入れて、水の波紋をじぃっとみつめる。
風にそよぐ葉や木の枝に触ってみる。花びらをちぎってみる。
日の当たるぬかるみに手をいれ、その温かさや感触を確かめる。
小さな命の、不思議な形や動きに目を輝かせる。
自然への感覚をに全開にしているこども達と、自然のなかにいると、不思議に、心が解き放たれている自分自身に出会います。
「難しいことは考えずに、感じるままに受け取ればいいんだよ」と全身で教えてくれているようです。
ノラソラの活動時の
「ノラソラでは、“自然”と“こども達”が先生です」
というメッセージは、自然の中に思いっきり身も心も浸したときの心地よさを、子どもを取り巻く大人たち自身に、まず味わってほしいという願いからでした。
“大人が全力で楽しめば、こどもだって楽しい。”
当たり前のようでいて、なかなか自分が保育士として園に勤めていた時には、難しいことでした。日々のことに精一杯で自分の中にそれだけの余白がなかったし、自分は“先生”なんだからと、子ども達の世界に入りこみすぎないように敢えて一線を引いていたように思います。
“保育士”としては必要なことだったのかもしれません。
それでも、自分が思い描いていた「こんな大人でありたい」という姿からはどんどん遠くなっている気がしました。
もちろん、経験がこども達よりある以上、危険を察知したり、
方法をより多く知っていることから、それを伝えるのも一つの役目です。それでも、今まで自分が“大人の立場”で先回りして奪ったり、見過ごしたりしてしまっていた、こども達の時間、経験、出会い、心の動き…それを、このノラソラの時間の中では何よりも大切にしていきたいと心しています。
そうした思いを共有できる仲間を見つけたことが、十日町で“森のようちえん”を創っていこうと背中を押してくれた大きな一歩でした。
そして、何よりもこの十日町の雄大な自然と、人々の暮らしが紡いできたものが、子ども達の未来に大きな宝となってくれると思っています。
十日町は、知れば知るほど、奥深い魅力に満ちた場所です。
それは、自然と、ひととが、暮らしの中で居りあって、織り成してきた、積み重ねがまだ見つけられるから。
そして、それぞれの地域が紡いできた歴史が、ひとつに寄り合っている町であるから。
ノラソラも、「この十日町という地域まるごとが、子ども達の育つ場所でありますように」という願いから生まれ、メンバーも地域の様々な場所から集まってきています。そのみんなが、それぞれに、こども達とそれを取りまく大人たちへの温かいまなざし、想いを抱いています。
そこには、保育の資格があるとか、子育て経験があるとかいうことは関係なく、「こども達と、共に育ちあっていく喜びを味わいたい」という想いがあります。
ノラソラでは、「おとな/こども」「先生/保護者」という垣根をつくりません。
こども達を真ん中に、一緒に輪をつくりたいのです。
まだまだ、歩みはじめたばかりの一歩、これからも多くのひとと分かち合って、一緒に広げていけたらと思います。
越後妻有森のようちえんノラソラ
髙橋真梨子